riverside yoshinoとJohn Lennon

 小学校を卒業する寸前くらい、よしのはいきなり思いついてThe Beatlesを聴き始めた。本当はそれまで色々ときっかけはあったのだが、一旦それは置いておく。

 手始めに、父の部屋にあった3枚のCD『The Beatles 1962-1970』のPart. 1-3をこっそり持ち出した。強調して言っておきたいことは、「これらは赤盤、青盤ではない」ということである。赤盤の正式名称は『The Beatles 1962-1966』で、青盤は『The Beatles 1967-1970』だ。父の部屋にあったものとは若干タイトルが違っている。

 しかし、不思議なことに収録曲とその順番は赤盤・青盤と一致していた。つまり父の部屋にあった謎のCDは、本来4枚(2枚組×2)のCDを3枚に編集し直したものだったのだ。どう考えても、あのチープなユニオンジャックの3枚(歌詞カードは藁半紙にタイプライターで打ったようなものだったし)よりも、赤・青の2枚の方が手に入りやすいはずだというのに、父はいったいあれをどこで手に入れたのだろうか。

 

 さて、ギターのギの字も知らぬロー・ティーンのよしのの心を奪ったのは、初期も初期の、瑞々しい彼等のサウンドだった(ちょうどPart. 1のところ、Drive My CarまでがPart. 1である)。特にShe Loves Youが大好きだった。イントロからしてなぜか目眩がするほどだった。そして、平成生まれには既にロー・ファイに聴こえるその音、若干のエコー感が、よしのにまだ見ぬリヴァプールの街並みを、勝手に思い起こさせていた。

 

 よしのは、動く4人が見たくなった。それは簡単なことであった。最近テーマカラーが赤になったばかりのYouTubeに、多分恐らく、当時のライブ映像が上がっているはずだった。

 大好きなShe Loves Youの映像を探した。あまりにもあっさりと、簡単に見つかった。

 白黒だった。当時のよしのが見たことのある白黒映像といえば、平和学習のときの戦時中の映像(よしのはこの類のビデオが苦手で、平和学習が行われる8月9日や15日前後には、怖くて夜も眠れなくなっていたりしたことがある)、或いは歴史の教科書に載っている写真、そして『ゴジラ』(1954年)、『ゴジラの逆襲』くらいなもので、歴史の中の出来事でしかなかった。Michael JacksonのSay Say SayのPVに出てくる、歌の上手いおじさんは、歴史上の人物だった(後のPaul McCartneyだ)。ギターやベースの形は、思っていたのと結構違った。そして、ギターは1本しか聴こえなかった。

 

 あらゆる衝撃を通り越して、疑問が湧いた。ご存知の通り、The Beatlesにギターを持っているメンバーは2人いる。リズム・ギターのJohn Lennonと、リード・ギターのGeorge Harrisonだ。

 なんでギターは2人いるのか?そして1本しか聴こえないのか?She Loves YouではJohnがメインの歌を歌っている。Georgeは時々コーラスをするが、基本的にはギターを弾いているだけだ。

 これらの現象から、小学生のよしのは、ある結論に達した。

John Lennonはギターが弾けないけど、歌ってる間手持ち無沙汰になるのがイヤなばかりに、弾けもしないギターを当て振りしているのだ!」

 あのJohn Lennonに対して、第一印象で「こいつはギターが弾けないんじゃないか?」と思ってしまった失礼なガキは、世界中探してもよしのくらいなものだと思う。当時のよしのにはギター・ヴォーカルという概念が存在せず、例えばMick Jaggarとか、Steven Tylerみたいなああいうものを想像していただけに、思っていたのとは違ったから混乱したのだろうが、それにしてもひどい結論に達したものである。

 Johnの聴こえない(弾けない?)ギターの謎は、よしのにとっての永遠のテーマになった。諸々の書籍を、インターネットを、調べて回った結果、どうもバンドには「リズム・ギター」と「リード・ギター」の2人のギタリストがいるらしい。よしのは、リズム・ギターの意味がピンとこなかった。伴奏楽器が云々と、Wikipediaなぞには書いてあるが、意味が分からなかった。つい最近まで、ギターのギの字も知らなかったよしのには、ここが限界だった。その春、小学校を卒業したよしのは、すぐさま矢上のハード・オフに行って、Photogenicのジャンク・ギターを始めて手に入れることとなる。

 

 中学年間、よしのはThe Beatlesをたくさん聴いた。次々と叩きつけられる妙な、カッコいい曲に、よしのはずっと飽きなかった。気分はギタリストだった。

 Johnのギターの謎は、よしののギターが達者になる毎に自然と氷解していった。All My Lovingのひときわ目立つアレ、I'm Happy Just To Dance With Youのアレ、そして初期The Beatlesの後ろで絶えず鳴り続けている、キラキラしたJ-160Eのサウンド、聴こえなかったギターが、よしのの耳にやっと届くようになった。よしのはThe Beatlesの聴き方を、そしてギターの弾き方をJohn Lennonに教わったのだった。

 

 今度の12/8、John Lennonが凶弾に斃れて40年になる。ありがたいことに、いつもお世話になっているラウンジサウンズで、ジョン・レノンナイトというイベントによしのが出ることになった。本来ならば、ギターを弾けるかどうか疑ってしまった小学生のよしのなど、Johnに呪い殺されていてもおかしくなかったかもしれない。あれから10年くらい経つが、よしのは初めて彼の曲を人前で演奏することになった。彼に恥ずかしくないような演奏を、彼に学んだ弾き方でやってみる。Johnだけじゃなくて、よしのの歴史をちょっとしか知らない君や、君や、君にも聴いてほしい。あの時の罰当たりなガキは、こんなに大きくなっている。

 

【riverside yoshino情報!!】

11/26(木) MUSIC UNFAIR @福岡UTERO

OP/19:00 ST/19:30 前売¥1500/当日¥2000(+1d)

w/THE RICHES, BILLY BLACK

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12/8(火) @福岡voodoo lounge

ラウンジサウンズ、ジョン・レノンナイト!

 

12/15(火) Songs Without Equal @福岡UTERO

OP/18:30 ST/19:00 前売¥1500/当日¥2000(+1d)

w/サカグチリュウノスケ, Szu, HAYATO, ツヅキ

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中日ドラゴンズ 2020年シーズン総括

ドラゴンズファンでよかった。

 

2020年の中日ドラゴンズは、120試合を60勝55敗5分、勝率.522で終えた。2012年以来のAクラスということが頻繁にクローズアップされるが、個人的には貯金を持ってシーズンを終えられたことが何より嬉しかった。5割を切ったけどAクラス、では素直に喜べなかったと思う。

 

 1. 投手陣の頑張り

今年のドラゴンズは「鉄壁リレー」と「全員野球」で壁を破った。投手陣は序盤、ボール先行の投球が目立ち、試合のテンポが悪くなったところでバテて打たれる先発、慎重になりすぎて不安定な投球を繰り返すリリーフとなかなか思った通りに運ばなかった。しかし、ローテーションが崩れそうになったとき、1年遅れの救世主、松葉貴大が現れた。それまで不甲斐ない投球を続けていた投手陣に投げ方を教えているかのようなストライク主体のピッチング、シーズン通して目立った成績を残せたわけではなかったが、数ヶ月前には火の車だったローテーションで、間違いなく鈍い輝きを放っていたのが松葉だった。

これ以降のドラゴンズ先発陣は絶好調だった。大野は当たり前のように完投し、福谷は(中継ぎ時代とは別人のような)一糸乱れぬ投球でゼロを重ねる。怪我に泣きながらも柳が意地の投球を見せれば、若い勝野や清水が続く。おまけには謎の剛球外国人、ヤリエル・ロドリゲスがローテーションを支えた。先発投手陣には熾烈な競争と、それに伴った確かなレベルアップへの手応えが感じられた。

そして忘れてはいけないのがリリーフ陣だ。何といっても福→祖父江→R.マルティネスのリレー。この3人がよしの的2020年ドラゴンズのMVP投手部門である。彼等が、少なくとも37の勝利をドラゴンズにもたらした。そしてよしのが胸打たれるのは、この3人のここまでの歩みなのである。キューバの謎の若者だった日を越えて、驚くべき成長曲線を描いたライデル、「惜しい」中継ぎから完全に脱却し、頼れるセットアッパーに躍り出た祖父江、育成落ちを経験しながら、痺れるようなプレッシャーを跳ね返した福、と元々リリーフピッチャーが好きなよしのには眩しすぎるほどの勝ちパターンの投手たちであった。

とにかく、先発が長いイニングを投げて試合を作り、リードを保ったまま終盤を守り切って勝つ、長い長いBクラスに沈む期間、不思議の勝ちばかりが目立ったドラゴンズが、「勝つべくして勝つ」ことができるようになったのは、投手陣の頑張りがあってこそのものだった。

 

2. 野手陣の全員野球

「とにかく点が取れない」ドラゴンズは、悪い意味で今年も健在だった。打順をどう組み替えても、どんなに辛抱強くレギュラー陣の復調を待っても、なかなか打線の噛み合わない時期の続いた序盤戦。ある程度借金が溜まると、不調の選手に痺れを切らしたファンたちが「若手を使え~」の大合唱だった。厳しい戦いの中、批判の矢面に立たされる選手や与田監督のことを思うと、野手陣に関しては辛い時期の方が長いシーズンだった。

 与田政権が発足してからのドラゴンズは、とにかく実力主義になった。それによって、それまでなかなか結果の出なかった選手たちも1軍に定着し、レギュラーを勝ち取った選手も多くいる。しかし、レギュラー陣を固定し、毎日々々変わり映えのしないオーダーを見ると、特に勝てない時期には批判も噴出するものだ。1ファンとしてよしのにもその気持ちは分かる。負けて下を向いてばかりいる選手たち、そのムードを見ると、何か新しい風を吹かせてほしいという気持ちが湧いてくる(単純に好き嫌いで特定の選手や監督を叩いていたファンも散見された。彼らは本当にドラゴンズファンなのだろうか。)。

しかし、与田監督は決して選手を責めず、信頼し続けた。結局シーズンの最終盤まで「若手が見たい」という声が途切れることはなかったが、与田監督はただ勝つために、もがき苦しむ姿も、ひたむきに努力する姿も、一番間近で見てきたレギュラー陣を信頼して起用し続けた。

この選択が、「結果的には」吉と出た。つい数年前まで「自分が1軍に残りたい」「自分がレギュラーを獲りたい」とギラつかせていた眼が、「勝ちたい」という気持ちで輝き始めたのだ。ドラゴンズというチームで、自分は何をすればいいのか、そのために今自分がするべき仕事はなにか、そしてどうすれば実行できるか。いつしかドラゴンズは、自分のためではなくチームのために全力疾走し、ボールに飛びつき、ピッチャーに立ち向かう集団になっていた。

野手陣の課題は相変わらずだった。チャンスで打てない、ホームランが出ない。しかし、その代わり彼らは、全員血眼で1点をもぎ取ることができるようになった。夏場を過ぎると、逆転できなかった、リードを許すと明らかに覇気のなくなっていたドラゴンズの姿はなかった。自分がなんとかする、なんとかできる、という自信は、選手たちにとって、例えば長打力や選球眼よりも得難く、大切なものだったと感じる。 

個人的には、高橋周平がナゴヤドームで逆転サヨナラ3ランを打った試合で、今年のAクラスを確信した。ほんのちょっと前までは、レギュラーを掴みそうで掴めない選手だった周平が、お立ち台で「チームの勝利」を繰り返す。背番号3に、今年のドラゴンズの全てが詰まっていた。

 

3. これで終わりではない・今年得られたもの

今年のドラゴンズは、久々にAクラスに入れたことが全てのようなシーズンだった。止まっていた時計の針が動き出したような感覚に、心躍らせるファンは多い。

しかし忘れてはならないことは、ドラゴンズはまだスタート地点に立てただけだ、ということである。ペナントは、情けないことにジャイアンツに独走を許す形で決着した。 ドラゴンズは、ここから優勝、そして日本一へ、やっとその歩みを始めたばかりなのだ。

しかし、ドラゴンズを見ていればあまり心配はなさそうだ。何しろ、選手も首脳陣もスタッフも、シーズン最終盤に地獄の6連敗を経験し、乗り越えることができたのだ。自信が慢心に繋がると足元を掬われるということは、皆痛いほど分かっている。

あの1週間ほど、ドラゴンズが「どうやったら勝てるのか?」を考えた日々はなかったように思う。首脳陣は離脱者が続出した打線を最もいい形にアレンジすることに腐心していたし、選手はボロボロの身体に必死で鞭を打っていた。このままではまたしてもBクラスで終わってしまう・・・というプレッシャーの中、もがき苦しんでいた。

ファンとてそれは同じことであろう。よしの個人の話で言えば、もうこれはひたすら祈りを届けるしかない、と思っていた。そして、今日この日、もしよしのが自分に負けずに何かを成し遂げることができれば、ドラゴンズの選手たちも試合に、自らに勝てるかもしれない。もしよしのが自分に負けてしまえば、選手たちも折れてしまうかもしれない。これまでたくさんのエネルギーを届けてくれたドラゴンズに、今度はよしのがお返しをする時なんじゃないか、そう素直に思えた1週間だった。シーズン5割以上が確定した11月4日、1点差のゲームセットの瞬間のラジオ実況アナウンサーの声が聞こえる。「福が、泣き崩れています・・・」両手を合わせ祈っていたよしのの頬に、自然と涙が伝った。

ペナントレースも最終盤になって、ドラゴンズは、また一つ強くなった。それはよしのも同じことである。なんとか3位に滑り込んだだけのシーズンかもしれないが、そこに秘められたドラマはとにかく凄絶なものであった。こんなチームが、優勝できないわけがない。

 

2020年シーズン、首脳陣、選手、チームスタッフの皆さん、本当にお疲れ様でした。2021年は、優勝・日本一を目指してよしのも一緒に戦います。

 

ドラゴンズが残りの5試合でするべきこと

今週のドラゴンズは、情けなかった。

先週までは、7連勝→1敗→4連勝と好調で2位をキープしていたチームが、今週はまるで別のチームを見ているように弱かった。一つも勝つことができず6連敗である。順位は3位に落ち、いつの間にか4位の横浜と0.5ゲーム差まで迫られている。貯金を増やすことは大変だが、借金をこさえるのはいつもあっという間である。

 

今季は残り5試合だ。横浜1カード(ナゴヤドーム)とヤクルト1試合’(ナゴヤドーム)、最終戦は中止の振り替えになっている広島1試合(マツダ)で、この妙なシーズンの闘いは終わる。

 

6連敗のドラゴンズには、いいところが(アリエルの無事と京田、阿部の復調を除き)一切なかった。連敗の起点となった阪神(甲子園)戦のカード初戦、終盤まで息の詰まる投手戦であったものの、絶対的セットアッパー福の2つのエラー、打球の目測を誤った滝野のプロ初スタメン試合での落球が響き勝ち越しを許すと、そのまま押し切られた。勿論、ここまでチームの勝ちに最も貢献してきたと言っても過言ではない福の、一つのミスを責めることも、まだまだ経験も浅くこれからの飛躍を待つ選手である滝野の落球を責めることもない。連敗はここから始まったのではなく、落球した直後、ボールインプレー中にがっくりと項垂れた福の姿に始まったと感じている。

次の試合ではビシエドが怪我で離脱した。精神的支柱を失ったドラゴンズ打線は西勇輝の前に黙り込んだ。名古屋に帰ってきても、ビハインドで出てくる救援陣が揃いも揃って炎上し、福田はデジャブのような怪我を負い、新人王候補森下の前にまたしても打線はきりきり舞いだった。

 

今季のドラゴンズにとって、今が最大のピンチであることは疑いようがない。しかし、シーズンは残り5試合である。泣いても笑っても。ファンも含め、ドラゴンズを形作っている人々は皆、「今年こそはAクラス」という「自信」が、勝ち続けるうちに「慢心」に変わっていなかったかを自問し、反省せねばならない。勢いのままに勝てるうちはいいが、自信が先走りすぎたところに、ドラゴンズの急所がある。それを、よしのも含めて学び取ることができていなかったからこその6連敗であった。

しかし、反省はシーズンオフにでもゆっくりすればいい。選手や首脳陣はとにかく目の前の試合で勝つための最善の努力をしてほしい。離脱者がここにきて増え、選手の疲れも明らかになってきた今、チーム全員が勝ち方を知らない(「忘れた」のではなく)。控え捕手を毎日使い切る采配も、ここまでは見られなかったことだ。火曜からの横浜3連戦は、Aクラス入りの運命を分ける文字通りの「天王山」だが、そんな皮算用はどうでもよい。とにかく主砲も守護神も頼れるナイスガイも欠いた今のドラゴンズが何をすれば勝てるか、全員野球で答えを出してくれ。連敗が止まれば間違いなくこのチームは変わる。120試合のうちの5試合は僅かなように感じるが、ここまで闘ってきたドラゴンズが一回りも二回りもパワーアップするには十分な時間だ。

 

選手や首脳陣、チームスタッフがドラゴンズの中核だが、吾々ドラゴンズファンもまた、チームを構成する大事な大事なピースだ。前述の甲子園の悪夢の後、福や滝野、首脳陣に叱咤をはるかに逸脱した「罵声」を送る自称ファンがいたことに、よしのは心を痛めている。一部のドラゴンズファンは、チームが逆境に立たされているときに洒落では済まされないほどの心無い言葉を浴びせることがある。

ファンがこれでは、強くなる可能性を持ったチームも一生負け犬のままだろう。

正直よしのも、自分のことを模範的なファンだとは毛頭思わないし、ファンのあるべき姿について講釈を垂れることが許されるほど立派な男ではない。しかし、選手は極限のプレッシャーの中で、文字通り生きるか死ぬかの厳しい戦いの中で、時に躍動し、時にもがき苦しんでいる。彼らの今置かれている状況、心境は、吾々ファンには想像することすらかなわないほどのものであろう。

その中で、例えばミスをした選手や、結果が出ない選手に対して罵声を飛ばすことはよしのにはできない。彼らの力を信じ、球場でもそれ以外の場所でも、声を上げ、そうでなくとも強く祈ることが、ドラゴンズが勝つために吾々ができることの全てだと、よしのは強く思う。残りの5試合、よしのは無力かもしれないが、この祈りが選手に届き、この逆境を跳ね返してくれるであろうことを信じている。

 

ドラゴンズに今一番必要なものは、長距離砲でも分厚い選手層でもなく、吾々ファンの祈りだと、綺麗事ではなくそう思う。ファンに、少なくともよしのにとって、残りの試合は楽しむものではなく、選手と共に闘うための場所だ。

 

中日ドラゴンズはなぜ勝てないのか?

今年もダメか・・・

今季は過去にはない変則スケジュール、CSもないということで(個人的には未だにCS制度には疑問を持っている)、与田政権1年目の昨年は投手陣の再建の兆しも見え、レギュラーの固定も成り立ち始めるなどチームもいい方向への変化があった2019年シーズンを越えたドラゴンズ、さあ今季こそ何が何でもリーグ優勝を!!とよしののようなファンも気合を入れて応援していたが、本日9/18現在、シーズンも終盤に差し掛かろうという中でリーグ優勝など夢のまた夢、早くも消化試合の感が拭えない。今日は先発の柳が阪神・大山に特大のグランドスラムを食らい、敗色濃厚である。

 

一体なぜ勝てないのか?首脳陣はもちろん、選手、スタッフ、そしてファンが頭を悩ませ、皆一様にもがき苦しんでいる。よしのも勿論のことで、本来ストレス解消のための趣味であるはずのプロ野球観戦で、大いにストレスを溜めまくる、まさに本末転倒とも言うべき有様だ。2013年から続く長い長い低迷期、よしのなりに考えたドラゴンズの勝てない原因を、素人目線ながら一応書き留めておく。

 

実は、与田監督が就任した昨季から、ドラゴンズはずっと同じような試合を続けている。つまり

①リードを守る展開なら勝つ

②追いかける展開なら負ける

この2パターンを繰り返す2年間を過ごしている。先発が試合を作り、その間に打線が頑張って点を取れればリリーフ陣が終盤までリードを守って勝てる。しかし、先発がいくら頑張ってもその間に打線がリードを奪えなければ、いいところなく惜敗…である。先発が崩れてしまえば、打線は即撤収ムードである。結果は言わなくてもよい。

2019年開幕からここまでの200試合あまり、ドラゴンズはずっとこれだ。ほんの3,4年前までは、①のパターンすら確立できず、勝った試合はすべて「不思議の勝ち」のようなものだったから、「こうなれば勝てる」という必勝パターンを作り出した与田監督の功績は計り知れない。単純に①のパターンよりも②のパターンが少しばかり多いから勝てないのだ。言ってしまえば当然、野球というのはリードしている方が有利な仕組みである。追う展開は不利だ。だからよしのは当たり前のことを言っているのだ。しかし我が中日ドラゴンズは、明らかに「追う展開に弱すぎる」のだ。昨年はシーズン折り返しあたりまで、5回以降の逆転勝利がゼロだった。夏場のハマスタで福田が奇跡のグランドスラムを打って逆転したのが最初だった記憶がある。過去の全チームにそんなデータを求めたことはないが、少なくともこれは異常な事態である。

 

ドラゴンズは点が取れない。それなりに試合を見ているドラゴンズファンは口をそろえて「点が取れないから勝てない」「本塁打が打てないから勝てない」「四球が選べないから勝てない」「得点圏で打てないから勝てない」と言う。確かにそれは正しい。事実ドラゴンズのチーム打撃成績を見れば、打率、本塁打、得点、四死球得点圏打率OPS等々、目を覆いたくなるような数字が目立つ(もっとも、昨季は打率がやたら高かったのだが)。何をすればどうなって点が取れるようになって、点が取れればどうしたら勝てるようになるのか、残念ながら素人のよしのには分りかねる。しかし、今季顕になったドラゴンズのチーム構造上の脆さを、よしのは結論づけた。

 

「競争がまるで足りない」のである。

 

前述の、①、②のパターンの繰り返しが、なぜ起こるのか。ひとつは打線の貧弱さである。追う展開になれば当然、7回以降は所謂「勝ちパターン」の、相手チームの中でもトップクラスのリリーフ投手を相手にしなければならない。勝ちパターンレベルの投手を相手にすると、ドラゴンズ打線は明らかに淡白になる。「撤収ムード」というのはここに表れているのではないか。当然試合をひっくり返せるわけもなく、為す術なく負ける。また、相手投手がエース級の投手であれば、初回から最終回まで全く手も足も出ない。ドラゴンズの投手陣が、先発救援すべてどれだけ獅子奮迅の投球を見せても、点が入らなければ勝てないのである(先日のG菅野-D大野の手に汗握る投手戦の末負けた試合が典型的である。この試合を境に、よしのは今季の優勝を半ば諦めている)。これらの傾向からしても(勿論これはよしのが日々のドラゴンズの試合を観た上での印象である、悪しからず)、ドラゴンズはあるレベル以上の投手が出てきたら全く打てないのではないか。

こう書くと、やはり点が取れないから勝てない、という風に考えられる。しかし、特に今季は投手陣にもほぼ同じことが言える。

今季のドラゴンズ打線は、週に1回あるかないか程度の稀な頻度で、「追い上げ」を見せる。大差のリードを詰めたり、点を取られても取り返そうとする(同点、逆転まで至れないという打線の弱さもあるのだが、それとこれとは別の話だ)など、気概を見せるシーンも増えてきている。しかし、10点だろうが1点だろうがビハインドはビハインド、ここで出てくる投手は、所謂「ビハインド専門」や「敗戦処理」というような、勝ちパターンからはやや信頼の落ちるリリーフ投手が出てくる。現在のドラゴンズでいうところの、谷元、又吉、木下雄介、ゴンサレス、藤嶋、あとは現在ファームの岡田…といった投手がこれにあたる。

ドラゴンズはこの投手が打たれる。勝ちパターンは現在、

7回:祖父江→8回:福→9回:R.マルティネス

というリレーが確立されており、盤石と言っていいほどの安定感を誇っている。それとは対照的に、ビハインドで出てくる投手陣はここ最近、無失点で帰ってきた方が少ないのではないか、というくらいに失点を繰り返す(強いて言えば、谷元や又吉は幾分安定した投球を見せてはいる)。これによって、先発の降板時点では僅差であったビハインドは逆転不可能なほどに広がり、試合そのものを捨てることになる。このパターンでも、中盤~終盤の逆転が一気に減るであろう。勝ちパターンの充実は言わずもがな、ビハインドで出てくる救援投手が充実することで、拾える勝ちが出てくる。1試合の勝敗が入れ替わるだけで、チームの貯金は2つ増える(=借金は2つ減る)。長いシーズンの積み重ねで、これが大きな差になることは明らかである。

 

…なるほど、では打線が打てるようになり、救援が誰も打たれなければ勝てるんだな!という結論に至るのはまだ早い。その結論はまさに正しいのだが、そうなる可能性がかなり低いことが、ドラゴンズの抱える弱さの根源なのではないだろうか、とよしのは考えている。

 

ドラゴンズの打線は、昨季の与田監督就任から殆ど固定されるようになった。レギュラーを決められた、ということはドラゴンズにとって大きな進歩であった。それが以下の打順である。

1.(8)大島

2.(9)アルモンテ/平田

3.(7)福田/アルモンテ

4.(3)ビシエド

5.(5)高橋周平

6.(4)阿部

7.(6)京田

8.(2)郡司/木下拓/加藤

中軸を打つこともあった捕手のA.マルティネスの故障等もあり、8月くらいからこの打順は殆ど変わらない。変わるとすればアルモンテ、福田、平田あたりが代わる代わる離脱し、それを埋めるように打線がマイナーチェンジする程度だ。8月には、ドラゴンズは好調になり、5カード連続の勝ち越しを決めるなど、一時は3位にまで順位を上げた。この時期は、上位~クリーンアップの調子が非常によく、ほぼすべての試合で先制していた。大島が塁に出て、アルモンテ、福田、ビシエド…と続く打線で得点をもぎ取り、ほぼ同時期に整備された強力先発陣がリードを守って勝ちに繋げる…①のパターンの勝利が非常に多かった。

しかし、「打線は水物」とは良く言ったもので、彼らもいつまでも好調が続くわけではない。ましてや今季は変則的なシーズンである。調整の難しさもあろう。上位~クリーンアップの打棒が湿り始めると、それに合わせてチームも沈み出した。序盤にリードを奪う前提の①のパターンが作れず、先発の取られた以上の点数を上げられなくなった。負けが込むと色々言いたくなるもので、好調時には本塁打を連発していた阿部も今や併殺打を打ちまくる選手になってしまい、京田などはいつまで経ってもノー感じである。阿部、京田両名はことごとくドラゴンズ不調の戦犯として、ファンから槍玉に上げられるようになった。

 

選手の不調、これは仕方ない。阿部や京田も、本来この程度の選手ではないとよしのは信じている。ここでよしのが最も言いたいこと、それは、「阿部や京田が悪いのではなく、阿部や京田に代えて出す選手がまるでいないのが最大の問題なのではないか」ということだ。これは阿部と京田だけの話ではない。今季珍しく不調が長いビシエドも、開幕から低調な平田も、怪我を押して無理をしていそうなアルモンテも…全ポジションの選手に言えることだ。

 

与田政権の大きな特徴として、「各ポジションの序列が明確であること」が挙げられるように常々感じている。1番手の選手が怪我をしたり、不調になったりすれば2番手の選手が出てくる、その次は3番手…という序列だ。代打の起用の順番や、守備固め、レギュラー故障・不調時の代役スタメン、これらの優先順位は、与田監督就任からかなり明確になった。1番手にあたる選手が所謂「レギュラー」であり、よしのは1番手と2番手以降の差があまりにも大きくなりすぎている、と感じている。

今季のドラゴンズは代打成績が異常に悪い。代打打率はなんと空前絶後の1割台だ。試しに9/16の試合でのベンチ入り選手の打率を並べる。

捕手

木下拓 .256

郡司 .170

(加藤 .161)

内野手

石垣 .125

溝脇 .176

堂上直 .120

外野手

遠藤 .194

井領 .216

武田 .107

捕手の欄に加藤を入れたのは、加藤は大学の後輩である岡野(9/16は岡野が先発した)が先発する試合で「専属捕手」のような形でスタメンを張ることが多いが、基本的にはベンチ要員だからである。スタメン機会の多い木下拓は例外としても、この惨憺たる控え選手の誰がレギュラーを奪えるだろうか?唯一、内野控えの石垣はここまでなかなか出場機会を与えてもらえずサンプルが少ない気はするが、これではレギュラーの選手が不調になった時に代わりにスタメンに入るどころの騒ぎではない。個人的に好きな選手ばかりで、こんなことを言うのは全くもって不本意であるが、他のチームならとっくの昔にファーム行きである。

ここまで見ると、「絶好調のファームから石川、根尾、岡林、渡辺勝、滝野あたりを上げて、若手を育てるモードに入れ!!」という批判も至極全うに聞こえるが、若手選手とは1軍で試合に出せば勝手に育つという性質のものではない。特に高卒で入団してまだ日の浅い選手は、シーズンを通す体力づくり等ファームでやることもたくさんあろう。若手を積極的に起用しろ!というドラゴンズファンの怨嗟の声は、特に谷繁監督の時代あたりから大きくなった気がするが、若手を使って起こる良いことは「打てなかった(打たれた、エラーした等失敗した)し、チームも負けたけど若手に経験を積ませることができた」、という風に、負けたファンの傷が若干浅いことくらいなもので、とにかく勝つことを目的に日々戦う1軍の世界で通用する理屈ではない。

 

与田監督(或いは野手全般のチーム運営を任されているという説もある伊東ヘッド)の、点の取れないチームの打順を全然動かさない采配に対して疑問の声も上がる。仕方のないことかもしれないが、残念なことに、現状の点の入る気配が全くしない打線がドラゴンズにとっての「最適解」なのだ。現場にいて選手のことを最も近くで見ている監督・コーチ陣の考えていることが、最も説得力のある最適解なのだ。チームの「理想的な形」(それこそ吾々ファンが開幕前に諸々の都合の良い皮算用をし、優勝を夢見るような)と現状の最適解の大きすぎるほどの乖離を生んでいるのは、レギュラーとそれ以外の途方もない実力差に他ならないと、よしのは考える。レギュラーを張る選手個人を非難することは、時と場を弁えてさえいれば勝手だと思うが、それは阿部に代えて誰を出すか?京田に代えて誰を出すか?平田に代えて誰を出すか?をよく自分の胸に問いかけてから為されるべきことであろう。

前述のビハインド時に出る救援も同じことだ。今更繰り返さない。

 

ここまでで言えば、単にドラゴンズは選手層が薄いから勝てない、という結論であるが、よしのが問題視しているのは「チーム内の競争意識の欠如」だ。

今季のある試合では、負けた後にベンチの中で笑っている選手がいたという。また別の試合では、試合開始前に欠伸をしていた選手がいるらしい。彼等が悪い選手だと責め立てるつもりはないが、こういった雰囲気からも、「俺は1軍の出場機会は安泰だ」という低い競争意識が垣間見える。

選手個々人は、日々より上手になろう、よりレベルアップをしようと必死である。そうでなければ、プロ野球選手になることはできないし、華やかな1軍の舞台でプレーできるわけがない。しかし、野球をやったことのないよしのでも、その立場を脅かされながら過ごす日々と、そうでない日々とでは、必死さも、過ごし方も変わってくるだろうことは想像に難くない。今季のドラゴンズで時折見られる、グラウンド上でのプレーにも、試合前後のベンチでの振る舞いにも、その必死さが今ひとつ足りないように見受けられることがある。生まれた時からドラゴンズファンであるよしのには、それがどうしても虚しく、寂しく、残念だ。何のために応援しているのか、分からなくなることもある。

今季一気に安定した先発陣は、今や押しも押されもせぬ球界を代表する左腕になった大野雄大が牽引し、それに続けとばかりに多くの投手が鎬を削る。特に福谷などは、好投を続ける中で脚にアクシデントがあり無念の降板、ベンチに下がるときには涙を流した。勿論理由はひとつではないだろうが、登板の度に最後まで投げ切る大野の姿に奮起した福谷の、マウンドを譲らないという強い心に、よしのはつられて涙した。そして、ローテ6人の中に入ろうとするローテーション候補生は、ファームで着実にアピールしている。今のローテを回す投手の誰かが炎上でもしようものなら、一気にその座を奪い取ろうと、爪を研いでいる。若手の山本、清水もそうだが、ベテランの域に突入した吉見も、例外ではない。この動きが、ドラゴンズのローテーションをどんどんとレベルアップさせているのではないだろうか。これが救援陣に、そして野手陣にまで波及すれば、ドラゴンズの全ての選手が、そのポテンシャルを最大限発揮できよう。常に、先発ローテーションは6人、勝ちパターンは多くて3人、野手のスタメンは8人、ベンチ入りは25人だ。

よしのが不本意ながらまた槍玉に上げてしまった、阿部、京田の2選手は、未だ.230付近の打率でもがき苦しんでいる。ビシエドも、過去には例のない不調が続いている。しかし阿部、京田の二遊間は、12球団でもトップクラスの守備を誇る。ビシエドは、過去の素晴らしい実績もあるし、守備もここにきて目覚ましく良くなっている。ここに、「いくら守備がよくても打てなければ」「いくら率を残せても本塁打が出なければ」そういって彼らの立場を脅かし、レギュラーを張っている選手を突き上げてほしい。レギュラー陣には、下からの突き上げに負けないよう、石にかじりついてでも結果を残してほしい。今はもがき苦しむ時期かもしれないが、よしのは何があっても、絶対に苦しむ選手の味方であることをここに誓おう。

The Beatles(White Album) よしのeditionについて

ホワイト・アルバムのリリースにあたり、ジョージ・マーティンは1枚組にしようとしたらしい、結局2枚組、ならばよしのが彼なら、如何にして1枚にまとめたであろうか?一応やってみて、曲順カスタム、聴いてみた感想が以下である。

 

曲順(54min.)

1. Back in the U.S.S.R.

2. Dear Prudence

3. Happiness Is a Warm Gun

4. While My Guitar Gently Weeps

5. Blackbird

6. Birthday

7. Yer Blues

8. Helter Skelter

9. Julia

10. Savoy Truffle

11. Rocky Racoon

12. I'm So Tired

13. Revolution 9

14. Good Night

15. Cry Baby Cry

 

感想

1. Back in the U.S.S.R.

流石に、最初2曲の流れはよしのでも崩せない、この曲は録音中にリンゴがブチギレて来なかったので、ドラムをポールがやった、みたいな話を聴いたことがある、なるほど確かに、ちなみに、今後ポールの来日があり得るなら、1曲目はこの曲がいいと思う。

 

2. Dear Prudence

間髪入れずに始まるいい曲、前曲と打って変わって静かな曲と思われがち乍ら、よしのはずっと、秘めた熱量はアルバム屈指だと思っている、何より、2曲続けて聴くことで「やっぱドラムはリンゴだよな~~」と、確信できるのがこの曲の聴きどころでもある。

 

3. Happiness Is a Warm Gun

非常に迷った末、難解、っぽく聴こえる、この曲が収まった、聴いてみると、Glass Onionを待っているとこの物々しいイントロが来ることにややずっこける、しかしこの曲は実は結構コンパクトなので、聴いていてもあんまり負担にならない、ここまででアルバムのカラーが決定づけられたので、一応はいいチョイスと思う。

 

4.  While My Guitar Gently Weeps

ジョージの曲の最初はやはりこれ、前の曲が終わってまたスリリングなイントロなので、アルバム全体が重くなっていくのが分かる、やはり耳が行くのがクラのすけのソロ、なんで今となってはいい感じの歌手みたいになっちゃったんだ、ここまでの4曲はかなりいい流れ。

 

5. Blackbird

いい加減このシリアスさに耐えきれない、小休止的な曲を持ってきた、個人的には、ポールのI Willと明らかに対になっている(その一方でこの後出てくるJuliaとも明らかに対応している)が、小曲にしても手ごたえ重視でこっち、怒涛の曲順の中でこれを聴くとより味わい深い。

 

6. Birthday

全体的に、浮沈の激しいアルバムになってきた、今回の選曲の中でアッパーな曲は、U.S.S.R.とこれくらい、よしのは根暗である、何かここで仕切り直し的な感じがあるが、この次までは、アナログA面のつもりで作っている。(余談、このアルバムはA→BのHappiness~、C→DのLong,Long,Longの最後に、盤を裏返す合図としてドラムのドコドンという音が入っている)

 

7. Yer Blues

よしのの中でホワイトアルバムは、兄弟のような曲が多い、というイメージだが、前曲とこの曲は性格真逆の異父兄弟である、誕生日だ~!の後にWanna dieとくる痛快さは残さざるを得ない、この鈍重な曲もよしのは好きである。ここで「盤を裏返す」ために一時停止。

 

8. Helter Skelter

イントロから、これはB面1曲目な予感がした、ハードロックのはしり、なので演奏が相当粗いが、随分長いことこの曲を聴いているので、こういうものと受け入れている、裏面、スタートはほぼ完璧、I've got blisters on my fingers!

 

9. Julia 

ホワイトアルバムでは、やかましい前曲の後に、ほぼ何も聞こえない、Long,Long,Longという静かな曲が入っている、ので、その感じを再現しようとした、結果、テンポ的に、やはりLong,Long,Longほどハマらない感じはしたが、この曲がHelter~の直後に来ることでただの優しい曲である、という以上の意味を見出せる曲順となった。

 

10. Savoy Truffle

ジョージ2曲目はこれ、と決めていたくらい好きな曲ではあるものの、しっくりくる位置がなく、最も置き場を決めかねたのがこの曲、何となくどこにでもハマりそうな感じがあったので、Juliaの後に置いたものの、やはりちょっと浮いた感じがする、しかし、本家ホワイトアルバムでもちょっと別枠な感じがあったのでそれも良しとした、ジョージのそういうところもまた好きなのである。

 

11. Rocky Racoon

ホワイトアルバムの曲を半分にせよ、という無理難題にこの曲を残す物好きも、相当珍しかろう、ビートルズの全ての曲の中でも、おそらくかなり見過ごされがちなこの曲、よしのはアルバム内でも5本の指に入るほど好きである、アルバムが終わりに差し掛かている、という寂しさをここまで見事に表してくれる曲はないと思う、正直今回の曲順で一番手ごたえを感じた。

 

12. I'm So Tired

前の曲が、ポールの隠れ名曲だとしたら、こちらはジョンの隠れ名曲である、アルバム後半っぽさのみではなく、ビートがザクザク立っている感じはジョンならではかな、と思う、最後のつぶやきが次の曲によくつながってくれた、こうしてアルバムは怒涛のクライマックスを迎えるのである。

 

13. Revolution 9

入れるか入れまいか、かなり頭を悩ませたが、ホワイトアルバムの中では最重要曲と思っているので、僭越ながらこの中にも入れさせてもらった、好き嫌いではなく聴き手のダメージ、が大きいところが魅力、だと思う、中学生のころ、音楽が好きな友達にしつこくこの曲を勧めていたほどよしのは人付き合いが下手である、こんな形でアルバムの流れをぶった切る所もホワイトアルバムの、ビートルズのらしさ、とでも言えるのではないか。

 

14. Good Night

何を隠そう、本家ラストソング、正直こんなにもお誂え向きの最後の曲もあるまい、不安ばかりが掻き立てられる前曲と、安らかになってしまうこの曲もまた、ホワイトアルバムの中の対になる曲、だと思う、リンゴって、単純にいいドラマーなのではなく、ビートルズのマスコット的な魅力がある、しかし、この曲を素直にラストにしては男がすたるばい、riverside yoshino!!

 

15. Cry Baby Cry

正直、この曲が本家ホワイトアルバムの中でも一番好き、しかも、最後にちょっと入っていると非常に素敵かもしれないと思ったので、よしのの謂わば「オレ竜采配」で、Good Nightの後に付け加えた、イメージは、SGT. Pepper's Inner Grooveとか、Her Majestyだった、前曲のリンゴの名歌唱を聴くと、蛇足にしかならないのではないか、一抹の不安もあった、しかし聴くと、意外としっくりきた、前曲の余韻をもう少し引っ張れれば…とも思った、もしこの曲が最後だったら、ホワイトアルバムの評価とか、この曲の評価も大きく変わったと思う、一つだけ言えるのは、最後がこの曲か、Good Nightかによって聞き終えた後の余韻が全く違うということである。

 

 

・・・と、これで聴き終えた、本当はもう2曲ばかり削れたらよかったが、よしの的にこれが限界だった、もし可能ならばこの曲順を再現して、聴いていただいて、よしのと色々と議論を交わしてほしいと思う、よしのはこういうのを語ることが少々苦手だが、周期的に言いたくなることもあるのであった。

無観客の大相撲

よしのの大好きなプロ野球、大相撲が無観客だ。

プロ野球は、いつもあまり気にしない打球音、選手やコーチの声かけが分かり、別の見どころも楽しめる、しかし大相撲、18時の弓取り式が終わるまで歓声がない、前相撲が延々と続いているような、異様さ。呼び出しの声、行司の声、場内アナウンス、すべてが虚しく響き渡っていた。

 

よしのの3月は多忙につき、今場所はあまり腰を据えて観ていない、しかし千秋楽は観た。場所そのものを簡単に総括すれば、上位陣が揃って不調の先場所とは打って変わって、両横綱の千秋楽相星決戦、さらには朝乃山は大関取り、唯一の大関(番付上は鶴竜が「横綱大関」を名乗るが)である貴景勝は思うように星が伸びず、しかし隆の勝なんかは躍進、と、本場所のあるべき盛り上がりがあったいい場所、だったはず、歓声が無いことを除けば。

 

異例も異例、千秋楽恒例の協会挨拶、幕内力士全員を従えた八角理事長、その挨拶に、よしのは不覚にも涙ぐむ、観客もいない中、言葉を詰まらせつつ、場所を完遂できたのは「テレビや、ラジオの前の皆様のおかげです」と言い切ってくれた、そして「全力士、全協会員を誇りに思います」と宣言した、勿論理事長が最も大変だったのは言うまでもないだろう。

 

横綱北勝海は苦労の横綱、というイメージ、千代の富士に猛稽古をつけられ、それでも耐えて綱を取った、現役時代は知らないが、未曽有の疫病に襲われた今場所をやり遂げる日本相撲協会のトップの姿に、よしのは横綱の意地を見た。彼の言葉に、全力士が胸を張っていた。

 

邪悪なものを押し込める、力士の力強い四股、五穀豊穣と世の平安をもたらす横綱土俵入り、力強い肉体の象徴たる力士、何かと批判にさらされることの多い日本相撲協会、だがよしのは、この国難の中でこそ、大相撲の持つ神通力を信じるに至った。

卒業ライブ頑張りました記

3/12、よしのには似つかわしくない軽音サークルの卒業ライブ、まずは前日の流れ。

 

いきなり一人部屋に隔離、その後ほろ酔い状態で、The Beatlesの名作『Rubber Soul』と『Revolver』を朗々と歌い上げる、よしの的に勝者Rubber Soul、そしてちょっと練習、ライブ直前だというのに調子の悪いSmall Cloneを借りる、明日への活力、ドデカミンのないことに気付く(遅い!)、深夜に徘徊、ドデカミン×4確保、松屋おいしかった、そして就寝。

 

当日、全体的に疲労困憊、よしの出演6バンド。

1. Z

1年ぶり出演、相変わらず超いいバンド、寝起き同然ゆえ歌詞が珍しく飛ぶ、否これはウォームアップなどではない、手ごたえ十分、慣れた曲、安心感、あと自分のことをロックスターと勘違い、しかし眠い。

 

2. ぼくがい!

完璧セトリ、乍らよしのは、高校1年の冬からの相棒テレキャスターの指板を欠く、滴る冷や汗、そして血液、映画『のぼうの城』は石田三成がカッコよすぎて違和感があったことを思う、手のひらが痛い、紛れもなくあれはぼくがい!だった。

 

3. 塩見絶対殺すバンド

今回も練習せず。しかしサークル内で殆ど嫌われ続けてきたこのバンドが、めちゃデカステージに降り立った瞬間は、4人とも輝いていた、唖然茫然、そして感動のよしの、想像の倍速いテンポ、巻きまくる時間、サグラダファミリアが今ちょうど完成。

 

4. 知ろうぜ、社会のしくみ

文句なし、今回過重労働とも言えそうな5人(よしのは例外か)、地力に感動、最終兵器ロシアンマフが火を噴く、この時点でよしのは酩酊、ソロで何を弾いたのか、一切記憶にない、イッてたら終わった。

 

5. riverside yoshino

割愛。

 

6. スパッツ

未だに気恥ずかしいバンド名、そして感情表現、2016年4月に半分頭を刈った彼と邂逅、あれからは想像つかぬ4年後、老成したナイロンパーカーの彼、想像つかぬ4年後、坂道転げて自転車衝突、西公園のホットドッグ、そしてスピッツコピーバンド、最後までギターは上手にならず、感傷に浸る余裕なし、ドラムの女、よく頑張った、これにて全部終了。

 

私事ですが大学院に行くので、あんまり区切り感がない、みんなのこと、好きか嫌いか、ここでは言えない、しかし楽しかった、これは確実、別件、今度ギター直しに行く、ヴィンテージギターを買うんじゃない、よしののギターがいずれヴィンテージになる、さながら鮎川誠のブラックビューティー、考えることは山ほど、しかしできることしかできない、どうせ!独りでまたがなる、よしののブルースってそんなもん、ブルース生まれが言うんやけん、間違いない、では、プロ野球開幕まで寝ます。