「ギタリストよしの」の完成形とは?

 ・・・とは言うものの、よしのはこんなに大上段に振りかぶるほどの人間ではない。ファー・イーストの、しがないアマチュアの人である。

 そもそもriverside yoshino自体どんな肩書きのものかがあまりよく分かっていないのだ。ミュージシャン、バンドマン、ブルースマン、ギタリスト、シンガー・ソングライター・・・むむむどれもしっくり来ない。「バンドをやっています」と後ろめたさなく言えるようになったのも、ミランバーズに入ってからのことだ。精々「ロック・スターごっこが趣味の人」ぐらいが丁度いい気がする。

 

 そう、よしのにとってはriverside yoshinoもミランバーズも全て「ごっこ」なのだ。幼稚園でやっていたウルトラマンごっことか、よく知らない近所の子供に混ざってやっていたおままごととかそういう部類なのだ。大学でやっていたコピー・バンドなぞもその極致で、自分で曲を書いてライブをしたり・・・というのも全部「ごっこ」遊びなのだ。例えばボブ・ディランごっこ、とか仲井戸麗市ごっこ、のようなものである。さしずめ自分の曲は、ウルトラアイのレプリカや、ウルトラ警備隊の制服のコスプレグッズといったところか。

 

 前置きは長くなったが、昨年のライブもなく暇な時期くらいから、よしのの「ごっこ遊び」は、結局のところ「誰ごっこ」なのだろう?と思うようになった。別に一人に絞る必要もないが、少なくともよしのにとって、ごっこ遊びにもある程度のイメージが必要である。色々なブルースマンロックンローラーごっこをしたいから今riverside yoshinoはこっそりライブをしているのだが、「見えたい姿」が、よしのの中では砂嵐状態で混沌としていた。

 

 昨年の3月、それこそ中国で謎の疫病が現れたくらいの時期だったと思うが、よしのは密かに憧れていたTHE VOTTONESのライブに乱入した。引っ込み思案のよしのに若干効いているギラつきの賜物だった気がする。ステージの上で「どこかで見たことあると思ったら、riverside yoshinoくんじゃないか!」と言われ背筋がピンと凍ったのを覚えている。あとギターの音はずっと出ていなかった。

 ライブ後、フロント・マンのふーさんに声をかけてもらった。一方通行でよしのが好きなだけだと思っていたら、向こうもよしののことを知ってて嬉しかった。相変わらず下ナポをチビチビやりながらの数センテンス、「The Whoとか好きやろ?」と言われた。単に、その時たまたま来ていたのが通称「犬の匂いのするコート」、ドイツ軍流れのモッズ・コートだったから出た一言だったのかもしれないが、よしのとしてはボットンズのどんな曲よりも耳にこびりつく言葉だった。

 

 「ごっこ遊び」の悩みの中、よしのはふーさんの一言に引っ掛かりThe Whoのライブ映像をたくさん観た(断言するが洒落ではない)。The Isle of Wightも全部観た。恰好の、ごっこ遊びの餌食だと思った。今まで「ずっと3番目に好きなバンド」だったThe Whoは盲点だった。

 

 以下は完全に自惚れだが、よしのにはかなりの程度、Pete Townshendの素質があるんじゃないかと思う。アコースティックでもエレクトリックでも、結構なパワー・プレイが身上だし、リード・ギターというよりはリズム・ギター派だと思う(個人的に、ミランバーズもリード・ベースがいると言っても過言ではないバンドだ)。あとは、破天荒でありたいのになんとなく真面目にやってしまうところ(そしてそれがコンプレックスになっているところ)とか、ギターよりコーラスに自信がありそうなところもそうだ。そして何よりやりすぎなほど音がデカいところもか。ちなみによしのは、ここまで書いていて今猛烈に恥ずかしい。

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 今この時、よしのはThe Whoの最新アルバムを聴きながらこれを書いている。あの鼻の大きさと、身長、手足の長さ、そしてステージ・アクションの真似ができない故に、「ピート・タウンゼンドごっこ」をしている自覚は全くなかったが、知らず知らずのうちに、よしのは彼の背中を追いかけていたのかもしれない。勿論、名だたるブルースマンやここには書ききれないほどのロックンローラーのことも忘れずに・・・

 

 前もこういう話を書いて残している気がするが、一連の出来事から、よしのの中でのPeteの存在はとても大きくなっている。そもそも身長は大きいが。「ピート・タウンゼンドごっこ」の自覚が出てからというものの、よしのの一番好きな「ごっこ遊び」は俄然面白くなってきた。よしのはこれから「ピート・タウンゼンドごっこをやっています!」と胸を張って言うだろうし、影響を受けてきたギタリストを聞かれればあまり迷わずPete Townshendと言えるようになったのではないだろうか(勿論好きなギタリストはもっとたくさんいるが・・・)。完成形はまだはっきりしていないが、「ごっこ遊び」のど真ん中にPete Townshendが腕をグルグルさせながら飛び跳ねている姿が今ははっきり見えている。A Quick One(While He's Away)や5:15やBaba O'rileyのようなおもちゃが出来たらいいな。

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 ※そういえば、昨年はふーさんのもう片方のバンド、THE RICHESと対バンする機会があった。あのときのよしのはきちんと「ピート・タウンゼンドごっこ」できていただろうか。リッチーズの「おいしいば~い」(タイトルは不確か)と歌う曲がよしのは好きだ。「こんなはずじゃなかっただろ」の部分に、ありとあらゆるロックンロールの粋が詰まっている気がした。あと「弱い心に沁みるばい」のところも。何度も聴いたわけではないが、これだけ覚えている自分に驚きもする。その日は終演後にバー・カウンターで過去最悪を更新する泥酔に突入し、起きたら知らない公園で砂を食べていたことも、今となってはいい思い出である。

2021開幕に寄せて

 開幕、毎年居ても立っても居られなくなる開幕、プロ野球ファンにとってこんなにも背筋の伸びる日もそうはあるまい。

 

 昨年は11月までレギュラーシーズンが続いた(Aクラス入りしたドラゴンズもCSが無かった影響で早めの閉幕になった)ため、どうも例年のバイオリズムが整わず、よしの的にはキャンプイン~オープン戦の間は、野球に対する実感が確信めかずにいたものの、もはやあのヒリつく日々が明日に迫っている現実は、背骨に直接冷や水をぶっかけられたかのような厳然たるものである。

 

 毎年言っているが、特によしののような熱狂的な特定球団のファンは、その可能性が消えるまで優勝のみを見据えなければならないというのがよしののポリシーだ。従って今のよしのは、中日ドラゴンズが優勝・日本一の栄冠を勝ち取る映像を脳内で繰り返し再生している状態である。はっきり言って負ける気は一切していない。それどころか日本シリーズで、最近は思い切り分の悪いパ・リーグのどこぞの球団をコテンパンにしている画すら浮かぶ。考えてみれば当然だ。敢えて今更名前は出さずにおくが、ファームで日々汗を流した若い力と、頼もしくも凛々しい背中に惚れ惚れする主力の面々に加え、酸いも甘いも嚙み分けたベテラン選手が融合した野手陣がいる。更には群雄割拠の様相を呈する先発ローテーションと、個性がじんわりと光る鉄壁のリリーフまで揃っている。こんなチームが勝てない訳がない。よしのはそう信じ切っている。Aクラスに入った程度で小躍りして喜ぶのはもう終わりだ。

 

 そして彼等のバックに就くのは、苦しいドラゴンズを常に見守り続け、大きく成長したファンたちである。これは綺麗事で言っているのではない。吾々もまた竜戦士なのだ。吾々が日々の営みに負けなければ、ドラゴンズはきっと勝つ。瞬間々々に打ち克った者の声だけが、グラウンドの選手たちに届くのである。そのことを、吾々ファンは水底に沈む竜にひたすら祈り続けたあの日々から学んだはずだ。プロ野球とはそういう舞台である。

 

 ・・・とここまで読んでいただいた諸氏ならばよく分かったであろうが、開幕前のプロ野球ファンはここまで気合に満ち満ちている。市井に潜むひとりの「竜戦士」として、よしのも必死に闘うシーズンが、これから始まる。2021年が、riverside yoshinoの夢が叶う一年になることを、心から願っている。

どうやらriverside yoshinoの夢が叶うらしい。

2月19日、よしのはミランバーズ馴染みのスタジオであるUNKNOWN SOUND STUDIOにいた。「よしのの夢が叶うけん」とだけ言われ、店長の中西さんに言われるがまま、ちょっと暑めの真っ昼間にギター2本と共に向かっていた。

 

よしのの曲を数曲演奏した。相変わらずのいい曲ばっかりだった。思ったより本格的な収録が行われ、よしのはまるで自分が売れっ子のミュージシャンにでもなったような錯覚に陥っていた。調子に乗って結構な悪ふざけをした。収録後、中西さんは「こんな面白い仕事でよかったな~」と呟いていた。言うまでもなく本当に素敵な先輩だと思う。若造が偉そうである。

 

中西さんと川端さんが夜を日に継いで映像の編集をして下さったという。よしのはどこまでも「お客さん」に過ぎないことは心のどこかで分かっているつもりだが、それにしてもよしののような一介のゴミクズ人間のために、ここまで駆けずり回ってくれるのは恐れ多いことだ。楽しいからなんでもいいと放言してきたよしのも、よしのの楽しさを周りに御膳立てされていることに気付いて、少しだけ大人になった。23歳が情けないことである。

 

・・・というわけで、毎日のようによしのの夢を叶えてくれている福岡UTEROで、よしのの夢が叶う日が来る、らしい。はっきり言って内容は一切知らない。ここ数年で誰かに夢を話した記憶もない。ただ、本当にドキドキしている。初めてMuddy WatersのI Just Want to Make Love to Youのハーモニカの咆哮を聴いた時のアレである。どこの誰かは分からないが貴方にも、あのドキドキな気持ちを感じてもらいたいと願っている。

 

20210308(月)non-commital〜riverside yoshinoの夢叶えます〜@福岡UTERO
OP 19:00

※時短営業に伴いUTEROでの観覧無しの配信のみとなる可能性がございます。
観覧:2Drink(¥1,200) or 飲み放題(¥2,000)
UTERO YouTubeチャンネルにて無料配信 21:00~22:00
アーカイブは数日

youtu.be


麦の水割り投げ銭はUSS_BASEにて。

unknownshop.base.shop


出演
【MC】ノブ林(non-commital)、ジャンボ大塚(Bellbottom from 80's)
【GUEST】riverside yoshino
【応援団】DJ魔人ブウ(ミランバーズ)、DJ健太郎(琥珀)、yuu(琥珀)
タイムテーブル

19:00 ノブ林(non-commital)

19:30 DJ健太郎(琥珀)

20:00 yuu(琥珀) 

20:30 DJ魔人ブウ(ミランバーズ)

21:00-22:00 riverside yoshinoの夢叶えます

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3/8フライヤー、名古屋城を守る漢、riverside yoshino(たぶん)

どうやらこのBASEでの投げ銭機能、リンクを踏んでいただければ分かるがよしのの秘蔵動画がプレゼントされるらしい。ファン垂涎のアイテム、皆さんも購入してみてはいかがだろうか。そしてよしのに「下ナポ」(「下町のナポレオン」麦焼酎いいちこの略称としてよしのはこう呼んでいる。読みは「げなぽ」)をご馳走してみてはいかがだろうか。当然ながら、秘蔵動画の内容をよしのは一切知らない。

 

 

そしてこの翌週にもライブはある。昨年ジョン・レノン・ナイト以来のラウンジ・サウンズ、この日はどうやらバンドマンカレートーナメントの準決勝があるらしい。よしのも見習わねばなるまい。配信でも現地でも見てほしい。

3/16(火)「ラウンジサウンズ~バンドマンカレートーナメント準決勝」 @福岡voodoo lounge

OP/ST 19:00/19:30

来場)¥1500+1d

配信)¥1500

※配信チケットは(voodoolounge.jp)にてご購入ください。

w/

垣内美希

cuvboys

ポカムス

宇宙サービス

バンドマンカレートーナメント準決勝) 江上るいvs野口(SOLAR)

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ラウンジサウンズのフライヤー。よしのは「ハード」で「ストレート」なようだ。



 

あとこの後3/19には、件のUSSの下(というかUSSがライブハウスの上にある、というのが大方の認識であろうが)で頑張って下さっているライブハウス、福岡UTEROでもライブの予定である。今月3本のイベントに誘っていただいているが、よしのもいい加減「御膳立てされた面白さ」に漂っているだけではいけない。よしのの当事者意識が逆襲をする。当事者意識による心拍数が、今のところよしのが与えることのできる全てである。

3/19(金) Songs Without Equal @福岡UTERO

OP/ST 18:00/18:30

観覧/¥1500+1d  配信/¥1000

w/

イフマサカ

Szu

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先月の波戸岬野外ライブでの、方天画戟ちゃんの勇姿。3月も咆哮します。

 

どうぞよろしく。

『The Best of George Harrison』とよしののブルース

 近頃、明確な意志を持って敬遠していた「カレー作り」に、色々あって手を出してしまった。スーパーに売ってあるスパイスをまぜまぜして作るアレのことである。

 カレーといえばインド、インドといえばハレ・クリシュナ!という、多分に偏った知識の影響を感じる連想から、My Sweet Lordを聴いて、よしのは悦に入り乍らカレーを煮ている。我ながら呆れてしまうほどの安直さである。

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 よしのの父はよしのと似たようなロック・ファンであった(というよりよしのが昭和36年生の父の世代のロック・ファンにかなり近い嗜好があった)。学校の友達とはあまり共通の話題がなく、絶えず若干の空虚感に苛まれつつ過ごしていたが、父と時々ロックンロール(と中日ドラゴンズ)について語り合えることはよしのにとってかなりの幸せだったように思う。

 

 そんなよしのも、中学生になるとThe Beatlesにのめり込んでいた時期が過ぎ、もう殆どの曲を脳内で再現できるようになっていたのだが、突然父があるCDをよしのにくれた。『The Best of George Harrison』だった。

 「ソロも聴いてみろ、お父さんジョージが一番好きやけん」と言われて渡されたCDには前半部分のThe Beatles時代の曲から後半のソロ・ワークスに至るまで結構代表曲が網羅されていたと思う。父は少々厄介な性格の人間だったが、なんだかんだ一人の男として尊敬できる人間であった。基本的な感性のズレから、友人とのCDの貸し借りもロクにしたことのないよしのが、初めて秘密を共有できた、そして父から、何となく一人前の男として認められたような気がした。とても誇らしかった。大事に、何回も聴こうと思った。

 前半部分は当然全部知っている曲ばかりだ。The Beatlesメンバーのソロ・ワークスを全く知らないよしのは、後半最初の曲であるMy Sweet Lordが始まるのをずっとドキドキしながら待っていた。SomethingもHere Comes The Sunもこの時ばかりは前座に過ぎなかった。

 イントロのアコースティック・ギターの音は、The Beatlesの音ではなく、ギタリスト・George Harrisonの音だった。途中から慎重に入ってくるボトルネックの音も、歌も、コーラスも、全部々々、ロックどころか全音楽の伝説となってしまったバンドの呪縛から解き放たれて、のびのびとプレイするサイレント・ビートルの姿がありありと浮かんでくるようだった。この曲は後に「パクり騒動」の渦中に飲み込まれる曲であったらしいが、そんなことは関係なかった。「俺はビートルズよりジョージのソロの方が好きばい」と言っていた父の気持ちが分かった気がした。父とよしのはこうして、ちょっとした秘密を共有する「同志」となった。(余談だが父の一番好きな曲は、アルバム『Dark Horse』収録のSimply Shadyだった。我が肉親のことながらあまりにも渋い。)

 

 それからはもうずっと同じCDばかり聴き続けた。誕生日に『All Things Must Pass』のCDをねだって買ってもらったりもした。寝ても覚めてもよしのはハレ・クリシュナ状態だった。

 

 ある夏の日、よしのはちょっとした友人数人と出かけたことがある。なんでも通っていた学習塾の先生の棲み処が分かったかもしれないと言って、実際にその場所を突き止めてやろう、といった他愛もない用事だった気がする。彼等は図体が大きい、気も結構強い。チビで気も弱いよしのは、大抵の場合、彼等のエスカレートした悪ふざけに巻き込まれ、何らかのダメージを負って帰ることがしばしばであった。早い話が「いじめられっ子」だ。(彼等の名誉のために言うが、別によしのは彼等を恨んでいるわけでは毛頭なく、仲良しだと思っているし、「いじめ」というのも自殺や不登校につながるようなヘビーなものではなく、彼等から見ればじゃれ合いの行き過ぎた先にあったようなものであろう)

 具体的に何が起こったのか殆ど忘れたが、坂道まみれの団地じみた所にあった件の先生宅の恐らく近所で、吾々はじゃれ合いながらこけつまろびつ・・・といった経緯だった。じゃれ合いが暴力行為じみてきたあたりでよしのの眼鏡が真ん中でポッキリと折れてしまった。よしのをストレス発散や何かの道具のように扱うこんな連中と遊びにさえ行かなければ、そもそもこいつらがこんなにヴァイオレントな人間でさえなければ無事よしのの顔の中心に収まっていた筈の眼鏡だったものが、真っ二つになってよしのの手の中に収まっている。「俺の所為じゃない」と言わんばかりに、一緒にきた彼等はゲラゲラと笑っていた。よしのもつられてちょっと笑った。

 

 夏の夕暮れの中、よしのは何が書いてあるかさっぱり読めないバスの運賃表をボーっと眺めながら、溝川行に揺られていた。中学生の眼鏡とは親に買い与えてもらうものだ。折角買ってくれた眼鏡を、息子が真っ二つにして帰ってきたら両親は悲しむだろう、一部始終を言いつけても何にもならないことは流石によしのも承知だったし、何も言わなければ「なんでもっと大事に扱わんとね!」と怒られるだろう・・・特段悪いことをしたわけではないよしのがなぜこんなに惑わなければならないのか、無惨な眼鏡を笑われたのか、今頃彼等は一家団欒の最中なのだろうか、なぜ中学生男子の論理は「力こそすべて」で片付くのか、よしのはなぜこんなにも無力なのか・・・

 

 よしのの悪癖の中に、「腹が立つと自分のものに八つ当たりする」というものがある。流石に人を殴る、傷つけることはほぼないが、今まで色々なものを腹立ちまぎれに葬り去ってきた。

 溝川行を降りたよしのは、一刻も早くロックンロールの世界に逃避したかった。惨めなよしのを慰めるものはそれしかなかった。

 自分の部屋に入ると、襖を閉め切ってCDデッキを開けた。

 

 よしのはいきなり我に返った。机の上に、真っ二つの眼鏡と、粉々になった、父から譲り受けたCDが横たわっていたのである。

 よしのはMy Sweet Lordなど聴きたくなかったのだ。もっと、I can't get no satisfactionとか、Helter Skelterな気分だったのだ。よしのはデッキに入っていた、父から貰ったCDを、カッとなって粉砕したのである。

 

 一人前の男の証は脆くも、ただのゴミ同然になってしまった。よしのはそれを学習机の引き出しの一番奥に隠し、早く忘れてしまおうと思った。他の誰にもその話はしなかった。一日でよしのは、本当に色々なものを失った。その後知らない間に、学習机は粗大ゴミになって家の中から消えた。

 

 その後も、父とロックンロールの話をすることは多かった。夜中にThe Rolling Stonesのライブを2人で観たり、どこで手に入れたか分からないLed Zeppelinのブートを一緒に聴いたりした。よしのはいつか、父にだけでも一部始終を話して、CDを粉砕してしまったことを謝ろうと思っていたが、ついにそれは叶わなかった。あまりに惨めで、若気の至りといったよしのの秘密は、誰とも分かち合えないものとなってしまった。

 

 あれからよしのは、あのCDに入っていたMy Sweet LordやWhat Is Lifeを聴く度に父に謝りたくなる。無論カレーを煮ている時もそうである。よしのの煮るカレーには、若きよしののブルースがちょっとだけ混ざっている。

 

みんなにもっとThe Whoを聴いてほしい(もう聴いてるならごめんなさい)。

 昨年末、ようやくThe Whoの2019年リリース『WHO』を買って聴いた。先の暮れ正月ははっきり言ってこのアルバムに塗りつぶされたようなものだった。

 

 よしのの身の回りに限った話なのかは分からないが、The Rolling StonesとかLed Zeppelinとかの良さは割と共有できている気がするものの、The Whoに関してはピンと来ない人が多い気がする(ひょっとすると知り合いの中にいる"潜在的"The Whoファンをよしのが把握できていない可能性がある)。

 

 なんとなく気持ちは分かる。誤解を恐れずにはっきり言えばThe Whoは全体的に泥臭い。メンバーを具に見ていけば、華やかなStonesやZeppelinのロックスターっぽさに比べると何となく『アパッチ野球軍』とかの香りがするのだ。

①まず、明らかにリズムを刻むどころではない異常、もといスーパー剽軽ドラマー、Keith Moon

②次に、長身を生かして負けじと腕を回したり、飛んでみたりと忙しいバンドの頭脳、Pete Townshend

③他方、棒立ちの癖に両手はやたらと動いて爆音・バカテクを奏でるJohn Entwistle

④最後に、以上の3人にかき消されないよう必死なバンドの顔、Roger Daltrey

・・・これだけ見ても他の様々なレジェンドたちと比べて随分ドンドロリンな感がある。しかしながら、The Whoを聴くだけでこれだけの人間模様が楽しめるのである。事実、よしのは初めてThe Isle of Wightの映像を観た時、一切飽きずに見入ったのを覚えている。主にPeteがハチャメチャに動くのが気になるあたりよしのもギタリストなのであろうが、とにかく何が起こるか分からないスリルが、ビジュアル的な部分だけでも、そして勿論サウンド面でもふんだんに存在する。

 

 これだけ見れば、歴史的にThe Whoが後のパンク・ロックに影響を与えた・・・みたいなUKロック史的な見方をすることも納得いくようなものであるが、よしのが好きなのは、彼らの曲のギター、及ドラム・セット破壊とかそういう過激なパフォーマンスに隠れた、そのかなり繊細な部分である。初期から彼らはやたらコーラスが綺麗だし、Peteはアコースティック・ギターがやたら上手だし、Rogerの歌も活動が深まっていくごとにどんどん上手になっているのが分かる。オリジナル・メンバーによるものではないが、よしのは前述のアルバムに付録としてついてきた、どこかでのアコースティック・セットのライブ音源が非常に気に入っている。それはそれは歯切れのいい音ではあるものの、彼らの曲そのものがそれをただ晴れがましいだけのものにせず、なんとなくアンニュイな気持ちにさせられるものになっている、そういう奇妙なバランス感がこのバンドにはある。勿論、Johnのリード・ベースと呼ぶべき質実剛健なプレイと、Keithの全編主役なドラムと、Peteの痛快なギターというアンバランスさも含めて・・・

 

 Keithが死に、Johnが誇り高き死を迎えてもThe WhoThe Whoだった。ZeppelinがBonzoの死によって終わったのとは対照的だ。勿論どちらの選択も偉大だと思う。ただ、これだけ個性的な4人で成り立っていたThe Whoがメンバーを入れ替えてでも続けることを選んだことは(別にその当時を知らない若造ではあるが)、The Whoを唯一無二のバンドにしている所以なんじゃないかと思う。『WHO』の一番好きな曲はT9. Break The Newsだった。これはPeteの弟で、現在のサポート・メンバーであるSimonの作だった。Pino Palladinoも渋くいいプレイをするし、Zak Starkeyもいい感じだと思う。確かにオリジナル・メンバーでのスリルは薄まっているかもしれないが、そんなことは無関係に困難を乗り越えて新たなThe Whoとは何かを追い求める姿が、よしのは最高にカッコいいバンドの姿だと思う。『Blue And Lonesome』でブルース・バンドであったかつてを思い出したStonesもカッコよかったが、The Whoの魅力は明らかに違うところにある。

 

 よしのはThe Whoの不器用なソツのなさが好きだ。riverside yoshinoのギタープレイは、実は大部分がPete Townshendの影響下にあることも、昨年の家に籠っていた期間の中で痛切に思い知った。The Whoをまだそんなに聴いてない人は、ちょっと聴いてみてほしい。もう既に彼らが大好きだ、という人は、是非よしのとThe Whoの話をしてほしい。I Don't Wanna Get Wiseだけど、今日ばかりは御託を並べさせてください。

 

 

来季のドラゴンズについて

 どうやら来季のドラゴンズの陣容が固まりつつあるようだ。取り敢えず今オフの戦力のプラス、マイナスを見ると、※()内は育成

・退団、育成落ち

吉見一起(引退)

伊藤準規

阿知羅拓馬

石川駿

小熊凌祐

鈴木翔太(→阪神育成)

ソイロ・アルモンテ

エンニー・ロメロ

モイゼス・シエラ

ルイス・ゴンサレス

(浜田智弘)

(大藏彰人)

(サンディ・ブリトー

垣越建伸(育成再契約)

竹内龍臣(育成再契約)

合計15人(支配下枠-12)

 

・入団

高橋宏斗

森博人

土田龍空

福島章

加藤翼

三好大倫(以上ドラフト本指名)

(近藤廉)

(上田洸太郎)

松木平優太)(以上ドラフト育成指名)

ランディ・ロサリオ

マイク・ガーバー

福留孝介

(山下斐紹)

(ルーク・ワカマツ)

合計14人(支配下+9)

シーズン終了時支配下70人-退団12+入団9=現在支配下67人

 

 ・・・というわけで、育成契約の選手の数を考えても、シーズン前の補強としては支配下枠3人残しての終了の可能性が濃厚である。

 総評としては、「今後のドラゴンズの方向性がはっきりと見えた」補強であると言っていいだろう。正直ドラフトに関してはもっと即戦力重視でもよかったように思えるが、こればかりは今ドラフト指名選手が全員引退するまで評価を預けておきたい、というよしのの方針上割愛する。

 来季はいよいよ優勝を・・・というドラゴンズにとって、大野雄大の残留後最も注目すべきは外国人の補強であり、ここにこそ来季のドラゴンズの方針が見えるというものである。

 寝耳に水だったのがアルモンテの退団だ。確かに怪我による離脱の多い選手ではあったが、試合に出さえすれば3割を確実に打ち、かつ長打も期待できる打者と契約しない、というのは、打力が課題と言われて久しいドラゴンズにとって相当勇気の要る決断だったろう。しかし、ドラゴンズはアルモンテを切ってガーバーを連れてきた。お母さまを新型コロナウイルス感染症で亡くし、それでもドラゴンズのために試合に出てくれたアルモンテは間違いなく愛すべき助っ人であったが、これもプロ野球の世界では致し方ないことである。

 そしてルイス・ゴンサレスの退団もあった。現状のドラゴンズはリリーフ左腕が手薄であり、彼の今季の成績では(コロナ禍の助っ人調査の困難さも含めて)首の皮一枚つながろうかと思ったが、意外にもあっさりとその首を切ってランディ・ロサリオを獲得。昨季の圧倒的セットアッパー、ジョエリー・ロドリゲスの代わりの助っ人を来季に向けアップデートした形である。

 

 助っ人補強から窺える来季のドラゴンズのビジョンは、「守り勝つチームの完成」である。その象徴がアルモンテ→ガーバーの助っ人の入れ替えではないか。

 ガーバーの前評判を見ると、概ね「守備の上手い中距離ヒッター」である。ドラゴンズのチームとしての伝統を考えれば、年間通して安定した成績を残せることが大前提ではあるが、アルモンテほどの長打は期待できないものの、外野守備の強化には資する補強であったと言えるだろう。つまり、今季の[(アルモンテ+シエラ)/2程度の打撃+守備での貢献]を期待した補強である。これができれば、一応ガーバーの獲得が成功だったと言える。

 つまり、ドラゴンズは打撃にはある程度目を瞑ってでも、年間通して外野のレギュラーを固められる選手が欲しかった、ということになる。首脳陣によるシーズン総括に打撃面での課題を咎めるコメントが殆ど無かったこともその証左になる(得点、本塁打をはじめほとんどの打撃指標が12球団最低レベルであったにも関わらず、である)。

 その代わり、左のリリーフの獲得は迅速で、不甲斐ない結果に終わってしまったゴンサレスのアップデート要員としてロサリオを獲得した。多少荒れ球ではあるが、打てそうにもないスライダーを投じる魅力的な投手である。与田監督の最終戦後のコメントでも明らかなように、「大福丸」に次ぐ2つめの勝ちパターンの確立が、来季ドラゴンズの至上命題なのは明らかだ。

 

 元々、ドラゴンズが強い時期というのはリリーフが充実している時期とほぼ一致する。郭源治が守護神を務めた80年代、サムソン・リー宣銅烈、岩瀬で優勝した99年、その岩瀬が抑えに君臨し続け、平井、岡本、落合英、高橋聡、浅尾とセットアッパーが割拠した落合政権下などがいい例だ。今季は福、祖父江、R.マルティネス以外のリリーフが炎上する試合も目立ち、その層の薄さが露呈したとも言える。その中で、勝ちパターンを任せられるリリーフの選択肢を増やすことがドラゴンズには求められる。

 

 連続Bクラスに沈んだ近年、ドラゴンズは打線の弱さという課題に注力し続けた感がある。弱いドラゴンズに対する怨嗟の声も主には点の取れない打線の不甲斐なさに対するものであったため、ナゴヤドームという投手有利の球場を本拠地としていながらリリーフ陣の整備が遅れていることは第2、第3の問題として位置付けられてきたのではないか。

 そんな中、「大福丸」のフル回転により今年のドラゴンズはAクラスに入ることができた。この躍進に最も貢献したのは勿論彼等であろう。この様子を見て、ドラゴンズフロント、首脳陣は「最低限のリードを鉄壁の投手陣で守り抜く」勝ち方を活路として見出したように見える。ファンの目線としてはどうしても打線の貧弱さが目につき、「打てないのにガーバーみたいな中距離ヒッターを獲ってくるなんて・・・」とフロントに文句の一つでも言いたくなる気持ちは大変よく分かる。しかし、チームとしてのビジョンが、勝つための方策がようやく見出せたのである。明確な方針を打ち出し、虎の子の1点を守り抜いて優勝を目指すドラゴンズを、これまで以上に大きな声を張り上げて応援しようではないか。

 

セントラル・リーグのDH制導入について

 昨日、読売巨人軍からセントラル・リーグへのDH制導入の提案があり、どうも即否決されたようだ。

 

 よしのの立場を言っておくと、セ・リーグのDH制導入については明確に反対である。

 これは当然のことだが、よしのには感情論以外に反対の理由は一切ない。パ・リーグセ・リーグを実力面で圧倒している、という事実がある以上、パ・リーグの野球の方がより合理的で、より強いことは現状覆しようがないのだ。この事実を根拠にしてしまいさえすれば、「DH制の方が優れている」理由は(多少強引でも)後からいくらでも引っ張ってこれる。

 よしのの意見が少しややこしいのは、よしのがDH制そのものに反対しているのではなく、セ・リーグがDH制を導入しようとしている経緯に納得がいっていない、というところである。よしのはDH制よりも投手が打席に入る現行の制度の方が好きだ、というのは否めない。「野球は9人でやるスポーツだろう」とか「投手の打席が見られなくなるのは寂しい」とかそういった類の意見も持っている。しかし、それはあくまで個人の好みの問題であるから、それだけでDH制導入に反対することはできない。皆さんの大好きな「合理性」に欠けているからである。

 よしのが反対するのは、「改革をするにしてもまず順序がおかしい」ことと、「セ・リーグの野球がパ・リーグの真似事になってしまう」ことである。

 そもそもDH制を導入するという議論は、セ・リーグパ・リーグ交流戦日本シリーズで圧倒されていることから端を発している。つまり

パ・リーグセ・リーグより強いなぁ、理由は何だろう?

②両リーグの差はDH制の有無くらいだなぁ

③よし、セ・リーグもDHを導入すれば強くなるんじゃないか?

という至極単純なロジックで提案されたものである。DH制が育成、投手力の向上等に有利にはたらく、という「合理的」な意見は、①~③の思考プロセスの上で後付けされたものに過ぎない。

 福岡ソフトバンクホークス日本シリーズ4連覇を達成していることが、単純にリーグ格差を表しているとは考えづらい。リーグ無関係にホークスは呆れるほど強い。しかしここ数年の日本シリーズを見ていれば、打者のスイングの鋭さ、投手の投げる球、(本来セ・リーグがウリにしていたであろう)守備・走塁の緻密さ、どれを取っても完全に水をあけられていることが素人目にも分かる。パ・リーグのチームはシーズン通してこの一分の隙もないチームと渡り合わねばならない。

 そのために、パ・リーグのチームはどうすればホークスの投手を打てるのか、ホークス打線を抑えられるのか、試行錯誤をしているのだ。その結果、西武は昨季まで2年連続でホークスに打ち勝ち、今季のロッテは四球をもぎとりまくることでホークスを最後まで苦しめた。

 セ・リーグがまずやるべきはこういう取組であろう。セ・リーグ各球団は「リーグ優勝」こそがゴールだと思っており、日本シリーズはボーナスステージ感覚で臨んでいる節がある。どうすればパ・リーグの選手と対等に戦えるか、一体セ・リーグ野球は何が足りていないのか、まず腰を据えて考え、リーグ全体として「打倒パ」を掲げてレベルアップするべきなのではないだろうか。それを一概にDH制導入という「無機質な改革」で片付けようとするのはあまりに安直で、浅慮が過ぎるというものだ。

 「それでもDH制がリーグ格差の要因になっていることは間違いないから、まずは制度から変えてもいいではないか」という意見も勿論あるだろう。しかし、よしのにはどうしても、これまで人気に胡坐をかいてきたセ・リーグが、着実に離れていくパ・リーグとの実力差を無視し続け、いざ日本シリーズ交流戦で負け出すようになるとDH制の有利さを声高に唱えるようになった現状が情けなく感じられるのである。(自戒を込めて言うが)例えば自らは部屋に寝転び乍ら政治や国家に対してブツクサと批判をしているような無様さである。

 

 野球に限らずどこの世界でも、競争に勝った者に他が追随して全体が画一化されることはよくある話だ。都市開発が進んだ結果日本中の幹線道路沿いが同じような風景になったり、ファッション・ブランドのロゴがどこも似通ってきたりというのがそうであろう。日本のプロ野球は、DH制の方が強いという「勝者の論理」によって多様性を失おうとしている。一度セ・リーグがDH制を導入したら最後、今まで当たり前に見られていた投手の打席は金輪際見られなくなる。そして、セ・リーグが今までのようにパ・リーグを倒すための努力を怠り続ければ、セ・リーグを待つ未来は「劣化パ・リーグ化」である。セ・リーグの試合を観ることは、パ・リーグとの違いを楽しむことではなく、ただ単にレベルの低い野球を観るだけのことになる。日本プロ野球が2リーグ制をとっているのはセ・パそれぞれの個性を打ち出すためで、異なる個性がぶつかり合うからこそ交流戦日本シリーズが白熱するのだと思う。少なくともよしのは今までそのように楽しんできた。プロ野球全体の画一化を引き起こすDH制導入を、各球団、或いはセ・リーグぐるみの「打倒パ」への対策よりも先に行うことは、やはりどうしてもよしのには「勇み足」にしか感じられない。

 

 DH制があるリーグの方が「絶対的に」強いということはまだ確定していない。近い将来セ・リーグのどこかのチームがあっと驚くような戦略・戦術を編み出し、現在「合理的」とされているパ・リーグの野球を打ち負かすことが起こるかもしれない。それがリーグ全体に波及して、セ・リーグの方が強くなる時代が来るかもしれない。いやもし来なくても、よしのは均質化された2つのリーグより、2つの個性のせめぎ合いが見たい。DHの導入は、パ・リーグに対してあらゆる手で立ち向かい、矢尽き弓折れてからでも遅くはあるまい。