流石に我慢ならない

 個人的に社会的なイデオロギーを前面に打ち出すのが苦手だから「日本金平党讃歌」のような曲を書くし、それが間違っているとは思わない。異なる思想を持っていても相通ずる人もいるので、そういう人と「思想が違う」と言う理由で袂を分かってしまう、みたいなことは誰も幸せにならないから極力したくないのだ。

 

 それでもやはり長崎ネイティブの人間として、核兵器の話とか原爆の話とか、太平洋戦争の話には人並み以上にアンテナを強力に張っている自負があるし、特にそういうトピックに関して上記のような態度をとってしまうのはどうしても納得いかない部分がある。から夜中に駄文を書いている。

 

 昨日8/6は、広島に原爆が落ちた日だった。明後日8/9は長崎に原爆が落ちた日だ。この2日間と8/15の終戦の日に、よしのの故郷では黙祷のために役場がサイレンを鳴らす。8/9は登校日にもなっており、うだるような暑さの中体育館で平和祈念集会が行われる。

 福岡に来てからも、よしのは黙祷を欠かしたことはない。サイレンが鳴らなくても、よしのの中では本当の平和とは何か考える時間になっている。世界がきな臭かろうとそうでなかろうと、よしのにとってはそういう時間だ。

 昨日の広島の平和祈念式典もラジオでひっそり聴いていた。「核なき世界」への日本の態度に対して思うことも色々とある。そして昨日の首相スピーチの際にはたくさんのヤジが飛んでいたし、見たくもないSNSで様々な意見が飛んでいた。その中には?と思うものもあったけれど、よしのはそのひとつひとつを理解しようと努力している。

 

 福岡に身を置いていると思うことなのだが、役場でサイレンを鳴らすわけでもなく、平和への思いを馳せる時間を設けるわけでもない自治体に住む人間が、そのことに関して声を上げるわけでもなく、ただただ首相スピーチに文句を言う様が健全だとよしのは思わない。当然その中には真剣に被爆地日本の一市民として何かを考えている人もいるとは思うのだが、順序が違うと思う。広島や長崎に起きたことは所詮他人事だと思ってるんじゃないかと受け取ってしまう。首相がスピーチの場で何を言ったか、というのも確かに重要な問題ではあると思うが、恒久平和を願う(今のところ)最後の被爆地に暮らす人間としてそこに何かの怒りをぶつけるのならば、もっと先に「惨禍を忘れないように黙祷のサイレンを鳴らす」ことすら怠っているおらが町の無関心さに矛先を向けないのはおかしくない?

 

 結局「気に入らない奴に文句を言う口実」を探してるだけなんじゃないの?

 

 TwitterTwitterでなくなったときもそうだ。Twitterユーザーの中で、以前からあの青い鳥を心の底から愛していた人なんで数えるほどしかいないだろう。なくなると決まった瞬間文句を言うのだ。「あの青い鳥はTwitterのシンボルだったんだ」などと。アイコンが変わろうが機能が変わらないのなら何事もなく使い続けるくせに。Twitterを買収した金持ちの人が気に入らないから、それに対して文句を言うために、そこまで愛しているわけでもなかった青い鳥を盾にしているようにしか見えなかった。青い鳥が草葉の陰で泣くかもな。

 

 明後日も忘れてはいけない日。1週間後も忘れてはいけない日。どうせよしのは反吐が出る思いをしながら、戦禍に散った無辜の命に思いを馳せることになるだろう。

 

 片腹痛いぜまったく。