『The Best of George Harrison』とよしののブルース

 近頃、明確な意志を持って敬遠していた「カレー作り」に、色々あって手を出してしまった。スーパーに売ってあるスパイスをまぜまぜして作るアレのことである。

 カレーといえばインド、インドといえばハレ・クリシュナ!という、多分に偏った知識の影響を感じる連想から、My Sweet Lordを聴いて、よしのは悦に入り乍らカレーを煮ている。我ながら呆れてしまうほどの安直さである。

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 よしのの父はよしのと似たようなロック・ファンであった(というよりよしのが昭和36年生の父の世代のロック・ファンにかなり近い嗜好があった)。学校の友達とはあまり共通の話題がなく、絶えず若干の空虚感に苛まれつつ過ごしていたが、父と時々ロックンロール(と中日ドラゴンズ)について語り合えることはよしのにとってかなりの幸せだったように思う。

 

 そんなよしのも、中学生になるとThe Beatlesにのめり込んでいた時期が過ぎ、もう殆どの曲を脳内で再現できるようになっていたのだが、突然父があるCDをよしのにくれた。『The Best of George Harrison』だった。

 「ソロも聴いてみろ、お父さんジョージが一番好きやけん」と言われて渡されたCDには前半部分のThe Beatles時代の曲から後半のソロ・ワークスに至るまで結構代表曲が網羅されていたと思う。父は少々厄介な性格の人間だったが、なんだかんだ一人の男として尊敬できる人間であった。基本的な感性のズレから、友人とのCDの貸し借りもロクにしたことのないよしのが、初めて秘密を共有できた、そして父から、何となく一人前の男として認められたような気がした。とても誇らしかった。大事に、何回も聴こうと思った。

 前半部分は当然全部知っている曲ばかりだ。The Beatlesメンバーのソロ・ワークスを全く知らないよしのは、後半最初の曲であるMy Sweet Lordが始まるのをずっとドキドキしながら待っていた。SomethingもHere Comes The Sunもこの時ばかりは前座に過ぎなかった。

 イントロのアコースティック・ギターの音は、The Beatlesの音ではなく、ギタリスト・George Harrisonの音だった。途中から慎重に入ってくるボトルネックの音も、歌も、コーラスも、全部々々、ロックどころか全音楽の伝説となってしまったバンドの呪縛から解き放たれて、のびのびとプレイするサイレント・ビートルの姿がありありと浮かんでくるようだった。この曲は後に「パクり騒動」の渦中に飲み込まれる曲であったらしいが、そんなことは関係なかった。「俺はビートルズよりジョージのソロの方が好きばい」と言っていた父の気持ちが分かった気がした。父とよしのはこうして、ちょっとした秘密を共有する「同志」となった。(余談だが父の一番好きな曲は、アルバム『Dark Horse』収録のSimply Shadyだった。我が肉親のことながらあまりにも渋い。)

 

 それからはもうずっと同じCDばかり聴き続けた。誕生日に『All Things Must Pass』のCDをねだって買ってもらったりもした。寝ても覚めてもよしのはハレ・クリシュナ状態だった。

 

 ある夏の日、よしのはちょっとした友人数人と出かけたことがある。なんでも通っていた学習塾の先生の棲み処が分かったかもしれないと言って、実際にその場所を突き止めてやろう、といった他愛もない用事だった気がする。彼等は図体が大きい、気も結構強い。チビで気も弱いよしのは、大抵の場合、彼等のエスカレートした悪ふざけに巻き込まれ、何らかのダメージを負って帰ることがしばしばであった。早い話が「いじめられっ子」だ。(彼等の名誉のために言うが、別によしのは彼等を恨んでいるわけでは毛頭なく、仲良しだと思っているし、「いじめ」というのも自殺や不登校につながるようなヘビーなものではなく、彼等から見ればじゃれ合いの行き過ぎた先にあったようなものであろう)

 具体的に何が起こったのか殆ど忘れたが、坂道まみれの団地じみた所にあった件の先生宅の恐らく近所で、吾々はじゃれ合いながらこけつまろびつ・・・といった経緯だった。じゃれ合いが暴力行為じみてきたあたりでよしのの眼鏡が真ん中でポッキリと折れてしまった。よしのをストレス発散や何かの道具のように扱うこんな連中と遊びにさえ行かなければ、そもそもこいつらがこんなにヴァイオレントな人間でさえなければ無事よしのの顔の中心に収まっていた筈の眼鏡だったものが、真っ二つになってよしのの手の中に収まっている。「俺の所為じゃない」と言わんばかりに、一緒にきた彼等はゲラゲラと笑っていた。よしのもつられてちょっと笑った。

 

 夏の夕暮れの中、よしのは何が書いてあるかさっぱり読めないバスの運賃表をボーっと眺めながら、溝川行に揺られていた。中学生の眼鏡とは親に買い与えてもらうものだ。折角買ってくれた眼鏡を、息子が真っ二つにして帰ってきたら両親は悲しむだろう、一部始終を言いつけても何にもならないことは流石によしのも承知だったし、何も言わなければ「なんでもっと大事に扱わんとね!」と怒られるだろう・・・特段悪いことをしたわけではないよしのがなぜこんなに惑わなければならないのか、無惨な眼鏡を笑われたのか、今頃彼等は一家団欒の最中なのだろうか、なぜ中学生男子の論理は「力こそすべて」で片付くのか、よしのはなぜこんなにも無力なのか・・・

 

 よしのの悪癖の中に、「腹が立つと自分のものに八つ当たりする」というものがある。流石に人を殴る、傷つけることはほぼないが、今まで色々なものを腹立ちまぎれに葬り去ってきた。

 溝川行を降りたよしのは、一刻も早くロックンロールの世界に逃避したかった。惨めなよしのを慰めるものはそれしかなかった。

 自分の部屋に入ると、襖を閉め切ってCDデッキを開けた。

 

 よしのはいきなり我に返った。机の上に、真っ二つの眼鏡と、粉々になった、父から譲り受けたCDが横たわっていたのである。

 よしのはMy Sweet Lordなど聴きたくなかったのだ。もっと、I can't get no satisfactionとか、Helter Skelterな気分だったのだ。よしのはデッキに入っていた、父から貰ったCDを、カッとなって粉砕したのである。

 

 一人前の男の証は脆くも、ただのゴミ同然になってしまった。よしのはそれを学習机の引き出しの一番奥に隠し、早く忘れてしまおうと思った。他の誰にもその話はしなかった。一日でよしのは、本当に色々なものを失った。その後知らない間に、学習机は粗大ゴミになって家の中から消えた。

 

 その後も、父とロックンロールの話をすることは多かった。夜中にThe Rolling Stonesのライブを2人で観たり、どこで手に入れたか分からないLed Zeppelinのブートを一緒に聴いたりした。よしのはいつか、父にだけでも一部始終を話して、CDを粉砕してしまったことを謝ろうと思っていたが、ついにそれは叶わなかった。あまりに惨めで、若気の至りといったよしのの秘密は、誰とも分かち合えないものとなってしまった。

 

 あれからよしのは、あのCDに入っていたMy Sweet LordやWhat Is Lifeを聴く度に父に謝りたくなる。無論カレーを煮ている時もそうである。よしのの煮るカレーには、若きよしののブルースがちょっとだけ混ざっている。