イカれたジジイ

 「ジジイ」は侮蔑的な意味を持つことが殆どだが、「ババア」に比べれば幾分年長者へのリスペクトが感じられる言葉だと思う。よしのの母はかつて、反抗期を迎えるであろう息子に「クソババア」と言われるのを楽しみにしていたそうだ。

 

 シーナ&ザ・ロケッツのギタリスト鮎川誠が、浴びた全身が爆ぜてしまうような爆音を轟かせた後、アンプのノブを戻すことなくシールドを引き抜いた瞬間をよしのは目撃したことがある。鮎川誠でなければライブハウス側から大目玉なのではないかと思った。

 

 よしのがこれまで出会った人たちの中には、こういう「イカれたジジイ」がたくさんいる。鮎川誠のイカれぶりを見た数分後、よしのは彼と言葉を交わした。大学、学部、そして研究室の後輩であること、貴方のR&Rに心酔していることetc.を話したつもりだが、それが鮎川先輩本人に伝わったかどうかはついぞ分からないままだ。

 よしのと話していた先輩のその姿はとても「チューブアンプのノブをゼロにすることなく引き抜く人」には見えなかった。あろうことか鮎川先輩は「勉強頑張ってね」とよしのに投げかけた。2年後、よしのは専攻賞とやらを手土産に卒業することになる。

 よしのは鮎川先輩のような「イカれたジジイ」に憧れてしまった。同時に「まともなジジイ」を最大限に憎むようになってしまった。その上で、「まともなジジイを『ただまともである』という理由だけで尊敬しているフリができる」ようになってしまった。由々しき事態である。

 

 10年ほど前からよしのは27歳で死ぬと言ってはばからなかったが、今やそんなことは馬鹿の戯言だと理解する。伝説になるのなら若くして散るのが一番手っ取り早いからだ。

 

 しかしよしのは伝説になりたいわけじゃない。よしのを憶えててほしいのだ。「生きてればこうだった」的な妄想でなく、「よしのはこういう奴だった」という事実として。語り継がれるための手っ取り早い方法を探すより、よしのがよしのとして生きる方が、自ずとその願いは叶う気がする。

 

 よしのの将来の夢は諸先輩方のような「イカれたジジイ」です。